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1. 概要
静岡県の久能山、標高216メートルの山頂に佇む久能山東照宮は、朝霧に包まれた駿河湾の絶景を背に、四百年の時を刻み続ける霊廟です。徳川家康公を祀るこの神社は、日光東照宮の原型となった最初の東照宮であり、江戸幕府が誇る建築技術の粋を結集した、まさに日本建築史における至宝といえるでしょう。
1159段の石段を登りつめた先に広がるのは、極彩色の社殿が織りなす荘厳な世界。朱色、金色、そして漆黒が織り成す色彩の饗宴は、訪れる者の心を一瞬にして江戸初期の栄華へと誘います。海と山に抱かれたこの地は、家康公自らが「久能城は駿河湾を制する要衝なり」と語ったとされる戦略的要地であり、同時に富士を望む霊山として、古くから人々の信仰を集めてきました。
権現造という独自の建築様式によって生み出された社殿は、力強さと繊細さが見事に調和しています。彫刻の一つ一つに宿る職人の魂、漆の艶やかさが映す光と影、そして随所に施された金箔の輝き──それらすべてが、天下統一を成し遂げた武将への敬慕の念を今に伝えているのです。
春には桜が社殿を彩り、夏には深緑が山を覆い、秋には紅葉が石段を染め、冬には凛とした空気の中で富士の姿が鮮明に浮かび上がります。四季折々の表情を見せる久能山東照宮は、訪れるたびに新たな感動を与えてくれる、時を超えた美の結晶なのです。
2. 基本情報
正式名称:久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)
所在地:静岡県静岡市駿河区根古屋390
建立年代:元和2年(1616年)着工、元和3年(1617年)完成
建立者:徳川秀忠(2代将軍)による造営
建築様式:権現造(ごんげんづくり)
文化財指定:
- 本殿、石の間、拝殿:国宝(平成22年/2010年指定)
- 楼門、神楽殿、神庫など多数:重要文化財
- 境内全域:国の史跡
世界遺産登録:該当なし(ただし、日光東照宮とともに「東照宮建築」として文化的に重要)
主祭神:徳川家康公(東照大権現)
社格:旧別格官幣社
3. 歴史と制作背景
元和2年(1616年)4月17日、駿府城において75歳の生涯を閉じた徳川家康公。その遺命には「遺体は久能山に葬り、一周忌ののちに日光山に小堂を建てて勧請せよ」と記されていました。この言葉に従い、息を引き取った翌日には遺骸が久能山へと運ばれ、ただちに壮麗な霊廟の造営が始まったのです。
家康公が久能山を永遠の安息地として選んだ理由には、いくつもの深い意味が込められています。まず、久能山は駿河湾を一望できる戦略的要衝であり、かつて武田氏が久能城を築いた軍事的要地でもありました。しかし、それ以上に重要だったのは、この地が富士山を望む霊山であり、家康公が幼少期から青年期を過ごした駿府に近く、心の故郷ともいえる場所だったという点です。東には伊豆半島、南には駿河湾の大海原が広がるこの地は、天下人の魂を鎮めるにふさわしい、天地自然の気が満ちる場所だったのでしょう。
造営を指揮したのは、2代将軍となった徳川秀忠です。彼は父の遺命を実現するため、当時の最高峰の技術者たちを全国から招集しました。大工棟梁は京都から招いた中井正清、彫刻は左甚五郎の系譜を引く名工たち、そして漆工、金工、彩色に至るまで、各分野の第一人者が結集したのです。わずか1年7ヶ月という驚異的な速さで完成した社殿には、幕府の威信と父への深い追慕の念が込められていました。
この造営は、単なる霊廟建設にとどまらず、江戸幕府が目指す新しい時代の象徴でもありました。戦国の世を終わらせ、泰平の世をもたらした家康公を神として祀ることで、徳川政権の正統性を示し、同時に全国の大名たちに幕府の権威を知らしめる政治的意図も含まれていたのです。実際、造営には全国の大名が寄進や人手を提供し、まさに日本全体の力を結集した一大プロジェクトとなりました。
また、久能山東照宮の建築様式は、後に造営される日光東照宮の原型となりました。権現造という本殿と拝殿を石の間で繋ぐ独特の様式は、ここで初めて完成された形式です。つまり、久能山東照宮は日本建築史において、新しい神社建築の様式を生み出した革新的な存在だったのです。
江戸時代を通じて、久能山東照宮は徳川将軍家の庇護を受け続け、歴代将軍の名による修復や寄進が繰り返されました。特に3代将軍家光は、日光東照宮を造営した後も久能山への崇敬を忘れず、度々参詣したと記録に残っています。明治維新後も、その歴史的・芸術的価値は高く評価され、昭和30年代から平成にかけて大規模な修復工事が行われ、創建当時の輝きを取り戻しました。
平成22年(2010年)、本殿・石の間・拝殿が国宝に指定されたことは、この建築が持つ文化的価値が改めて認められた証です。四百年の時を経てなお、創建時の色彩と技巧を今に伝える久能山東照宮は、日本建築の最高峰として、そして徳川家康公という偉大な人物を偲ぶ聖地として、多くの人々の心を捉え続けています。
4. 建築的特徴と技法
久能山東照宮の最大の特徴は、「権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる建築様式にあります。これは本殿と拝殿を「石の間」という相の間で繋ぐ構造で、従来の神社建築にはなかった革新的な形式でした。本殿、石の間、拝殿が一体となって複合社殿を形成し、横から見ると複雑な屋根の重なりが美しいシルエットを描き出します。この様式は家康公を祀るために創案されたもので、後に日光東照宮へと継承され、「東照宮造」とも称されるようになりました。
社殿全体は総漆塗りで仕上げられ、その上から極彩色の彩色と金箔が施されています。黒漆の艶やかな光沢は四百年の時を経てなお深い輝きを放ち、その上に描かれた唐獅子や牡丹、鳳凰などの文様は、まるで生命を宿しているかのような躍動感を見せています。特に本殿の須弥壇周辺に施された彩色は、赤、青、緑、金が織り成す色彩の交響曲であり、江戸初期の彩色技術の最高峰を示す作品です。
彫刻装飾においても、久能山東照宮は他の追随を許さない豊かさを誇ります。拝殿の欄間には「二十四孝」の物語が彫られ、中国の故事を通じて孝の精神を表現しています。また、側面の脇障子には「松竹梅」や「鶴亀」といった吉祥文様が精緻に刻まれ、家康公の長寿と徳川家の永続を祈念しています。これらの彫刻は単なる装飾ではなく、儒教思想や陰陽五行説に基づいた深い思想性を持った配置となっているのです。
構造面でも注目すべき技術が随所に見られます。急峻な山頂という立地条件の中で、石垣を巧みに積み上げて平坦地を造成し、その上に社殿を建立しています。この石垣技術は、戦国時代から江戸初期にかけて発展した築城技術の応用であり、軍事施設としての城郭建築と神社建築が融合した独特の景観を生み出しています。
また、社殿の屋根には「こけら葺き」という伝統技法が用いられています。これは薄い木の板を何層にも重ねて葺く方法で、高度な技術と膨大な手間を要する工法です。しかし、その美しさと耐久性は他の屋根材の比ではなく、適切な維持管理により数百年の寿命を持ちます。久能山の社殿が四百年を経て現在も建立当時の姿を保っているのは、この優れた工法と、歴代の職人たちによる丁寧な修復の賜物なのです。
金具装飾にも特筆すべき技術が見られます。扉や柱の各所に施された金具は、単なる補強材ではなく、精巧な文様が打ち出された芸術品です。これらは「魚々子(ななこ)」という技法で表面を加工し、微細な突起を無数に作り出すことで、光の当たり方によって表情を変える繊細な輝きを生み出しています。
現代の建築技術や修復技術にも、久能山東照宮から学ぶべき点は多くあります。伝統工法の継承、自然素材の活用、そして何より「美しさと機能性の調和」という建築の本質が、この社殿には凝縮されているのです。
5. 鑑賞のポイント
久能山東照宮を訪れるなら、ぜひ早朝の時間帯をお勧めします。朝の斜光が社殿の彫刻に陰影を与え、金箔の装飾が柔らかく輝く様子は、まさに神々しい光景です。また、駿河湾から立ち上る朝霧が山を包む幻想的な風景に出会えることもあり、この時間帯ならではの神秘的な雰囲気を味わうことができるでしょう。
季節で選ぶなら、それぞれに異なる魅力があります。春(3月下旬〜4月)は桜が咲き誇り、極彩色の社殿と淡いピンクの花が織り成すコントラストが見事です。初夏(5月〜6月)は新緑が美しく、社殿の朱色が緑に映えて一層鮮やかに感じられます。秋(11月中旬〜12月上旬)は紅葉が石段を彩り、登拝の道のりそのものが美しい体験となるでしょう。そして冬(12月〜2月)は空気が澄み渡り、富士山が最も美しく望める季節です。社殿越しに見る富士の姿は、まさに絵画のような光景です。
建築美を味わうには、いくつかのポイントに注目してください。まず、正面から社殿全体を眺め、権現造の複雑な屋根の重なりを観察しましょう。次に、拝殿の欄間彫刻をじっくりと鑑賞してください。「二十四孝」の各場面には物語性があり、一つ一つに時間をかける価値があります。また、柱や扉の金具装飾も見逃せません。光の角度を変えながら見ると、魚々子の技法による繊細な輝きの変化が楽しめます。
さらに、社殿の側面や背面にも回ってみてください。正面とは異なる角度から見る建築の姿は、新たな発見をもたらしてくれます。特に本殿裏手からは、急峻な山の地形の中にどのように建築が配置されているかが理解でき、技術者たちの苦心が偲ばれます。
境内には宝物館も併設されており、家康公の遺品や甲冑、刀剣などが展示されています。特に「歯朶具足(しだぐそく)」と呼ばれる家康公愛用の甲冑は必見です。社殿を拝観した後、これらの品々を通じて家康公の人物像に触れることで、より深い理解と感動が得られるでしょう。
写真撮影においては、午前中の順光が社殿の色彩を美しく捉えるのに適しています。ただし、社殿内部は撮影禁止の場所もあるため、係員の指示に従ってください。また、1159段の石段は撮影スポットとしても人気があり、上から見下ろす構図も、下から見上げる構図も、それぞれに印象的な写真が撮れます。
6. この文化財にまつわる物語(特別コラム)
家康公の遺言と久能山埋葬の史実
元和2年(1616年)4月17日、駿府城で75歳の生涯を閉じた徳川家康公。その遺言には「遺体は久能山に納め、葬儀は増上寺で行い、位牌は三河の大樹寺に置け。一周忌を過ぎたら日光山に小堂を建てて勧請せよ」と明確に記されていました。この遺言は複数の史料に記録されており、家康公が生前から自らの死後について熟慮していたことが窺えます。
死の翌日である4月18日、遺体は直ちに久能山へ運ばれ埋葬されました。通常、大名や将軍の葬儀には相応の準備期間が必要でしたが、家康公の場合は異例の速さで埋葬が執り行われています。これは遺言に従ったものであり、また当時の季節や気候を考慮した判断でもあったと考えられています。
なぜ家康公が久能山を選んだのか、その理由については諸説あります。久能山は駿河湾を一望する要衝の地であり、かつて武田氏が久能城を築いた軍事的重要地点でした。また、富士山を望む霊山として古くから信仰の対象とされていました。さらに家康公は幼少期から青年期を駿府で過ごし、晩年も駿府城に居を構えていたことから、この地への強い愛着があったと推測されています。しかし、家康公自身がその理由を明確に述べた記録は残されていません。
壮大な造営事業と全国の協力
家康公の埋葬後、直ちに本格的な霊廟の造営が開始されました。2代将軍徳川秀忠の指揮のもと、わずか1年7ヶ月という驚異的な速さで、元和3年(1617年)12月に社殿が完成しています。この短期間での完成は、全国の大名たちの協力と、当時の日本が持つ最高水準の技術力が結集された結果でした。
『東照社縁起』などの史料によれば、造営には京都から大工棟梁の中井正清が招かれ、全国から選りすぐりの職人たちが集められました。彫刻、漆工、金工、彩色など、各分野の専門家が久能山に参集し、昼夜を問わず作業が進められたと記録されています。
特筆すべきは、この造営が単なる霊廟建設ではなく、新しい建築様式の創造でもあった点です。権現造という本殿と拝殿を石の間で繋ぐ形式は、久能山東照宮で初めて完成され、後に日光東照宮の造営時にさらに発展させられました。つまり久能山東照宮は、日本建築史における革新的な実験場でもあったのです。
造営費用については正確な記録が残されていませんが、膨大な金額が投じられたことは確実です。全国の大名からの寄進、幕府の財政支出、そして使用された金箔や漆などの高級材料を考えると、当時としては国家的規模の事業だったといえるでしょう。
日光東照宮への展開
久能山東照宮の完成から約20年後の寛永13年(1636年)、3代将軍徳川家光によって日光東照宮の大規模な造替が行われました。家康公の遺言にあった「一周忌を過ぎたら日光山に小堂を建てる」という指示は、元和3年(1617年)に簡素な社殿として実現していましたが、家光はこれを大改築し、現在見られる壮麗な姿に生まれ変わらせたのです。
この日光東照宮の造営にあたり、久能山東照宮の建築様式が重要な参考とされました。権現造の基本構造、極彩色の装飾技法、彫刻の配置など、久能山で確立された様式が日光でさらに拡大・発展させられています。したがって、久能山東照宮は日光東照宮の「原型」あるいは「プロトタイプ」としての歴史的重要性を持っているのです。
興味深いのは、両社の役割分担です。久能山は家康公の遺体が実際に埋葬された「奥津城(おくつき)」であり、日光は「霊廟」として参拝の中心地となりました。江戸時代を通じて、久能山は徳川将軍家にとって特別な聖地として崇敬され続け、歴代将軍による修復や寄進が繰り返されました。
歴史を伝える宝物の数々
久能山東照宮の博物館には、家康公ゆかりの品々が数多く収蔵されています。中でも注目されるのが、家康公が実際に使用した武具や調度品です。
特に有名なのが「歯朶具足(しだぐそく)」と呼ばれる甲冑で、これは重要文化財に指定されています。黒漆塗りの胴に、シダの葉を模した特徴的な前立てを持つこの甲冑は、家康公が関ヶ原の戦いで着用したと伝えられていますが、その真偽については研究者の間でも議論があります。ただし、家康公の所用品であることは確実とされています。
また、スペイン国王から贈られたとされる時計や、南蛮渡来の眼鏡なども収蔵されており、これらは家康公が海外との交流に関心を持ち、先進的な文物を取り入れていたことを示す貴重な資料です。特に時計は日本に現存する最古級の機械式時計の一つとされ、当時の国際交流を物語る重要な文化財となっています。
刀剣類も多数収蔵されており、名工の手による名刀の数々は、武将としての家康公の姿を今に伝えています。これらの宝物は、単なる遺品ではなく、戦国時代から江戸時代初期という激動の時代を生きた家康公の人物像を、具体的に理解する手がかりとなっているのです。
久能山東照宮は、このように建築そのものの価値だけでなく、収蔵される品々を通じて、徳川家康という歴史上の巨人の実像に触れることができる、まさに生きた歴史博物館としての役割も果たしています。四百年前の人々の技術、美意識、そして家康公への敬慕の念が、今もなお確かな形で残されている場所なのです。
7. 現地情報と観賞ガイド
開門時間
- 4月1日〜10月31日:9時〜17時
- 11月1日〜3月31日:9時〜16時 ※最終入場は閉門30分前まで
拝観料(最新情報は公式サイトでご確認ください)
- 社殿:大人500円、小中学生200円
- 博物館:大人400円、小中学生150円
- 共通券:大人800円、小中学生300円
アクセス方法
【表参道(石段)ルート】
- JR静岡駅からしずてつジャストライン・久能山下行きバスで約40分
- 「久能山下」バス停下車後、徒歩で石段を登る(約20〜30分)
- ※1159段の石段を登る健脚コース
【日本平ロープウェイルート】
- JR静岡駅からしずてつジャストライン・日本平行きバスで約40分
- 「日本平」バス停からロープウェイで約5分、終点の久能山駅から石段を上ると境内へ
- ※山頂まで楽に到着できるルート
- ロープウェイ料金:大人(中学生以上)往復1,250円、片道650円/小人往復600円、片道350円
【自家用車】
- 東名静岡ICから日本平へ約30分
- 日本平に無料駐車場あり(ロープウェイ利用)
- または久能山下に有料駐車場あり(石段ルート)
所要時間の目安
- 社殿拝観のみ:約45分〜1時間
- 博物館を含む:約1時間30分〜2時間
- 石段を登る場合:さらに往復1時間程度を追加
おすすめ見学ルート
- 日本平ロープウェイルート(初心者向け) 日本平山頂→ロープウェイで久能山へ→社殿拝観→博物館→表参道を下る(体力に自信があれば)→バスで静岡駅へ
- 表参道石段ルート(健脚向け) 久能山下→石段を登る(休憩しながら)→社殿拝観→博物館→ロープウェイで日本平へ→日本平から絶景を楽しむ→バスで静岡駅へ
- ゆったり満喫コース 午前中に日本平から到着→社殿拝観→昼食(近隣の食事処)→博物館→境内散策→ロープウェイで日本平へ→夕景を楽しむ
周辺のおすすめスポット
- 日本平:久能山東照宮と合わせて訪れたい絶景スポット。富士山と駿河湾の大パノラマが楽しめます
- 日本平夢テラス:2018年オープンの展望施設。360度の眺望が圧巻です
- いちご海岸通り:久能山の麓一帯は静岡の名産いちごの産地。12月〜5月はいちご狩りが楽しめます
- 三保松原:世界文化遺産の構成資産。富士山の眺望で名高い景勝地
- 駿河湾フェリー:清水港と伊豆の土肥港を結ぶフェリー。船上からの富士山は格別です
特別拝観・イベント情報
- 例祭:4月17日(家康公の命日)。神事や能楽の奉納が行われます
- 初詣:正月三が日は特別に早朝開門があります
- 観月会:秋の名月の夜に特別拝観が行われることがあります(要確認)
- 夜間特別拝観:年に数回、ライトアップされた社殿を拝観できる特別な機会があります
お役立ち情報
- 石段を登る場合は、スニーカーなど歩きやすい靴を推奨します
- 夏季は日差しが強いため、帽子や日傘、水分補給の用意を
- 冬季は風が強いことがあるため、防寒対策を忘れずに
- 授与所では御朱印(300円)やお守りを授与しています
- 境内には休憩所がありますが、飲食施設は限られているため、食事は山を下りてからが良いでしょう
問い合わせ 久能山東照宮社務所 電話:054-237-2438
8. 参拝のマナーと心構え
久能山東照宮は徳川家康公を祀る神聖な場所です。訪れる際には、以下のような心構えとマナーを意識すると、より深い体験ができるでしょう。
参拝の基本マナー
鳥居をくぐる際は、軽く一礼してから進みます。参道の中央は「正中(せいちゅう)」と呼ばれ、神様の通り道とされていますので、端を歩くのが望ましいとされています。手水舎では、左手、右手、口の順に清め、最後に左手を洗い流します。柄杓を直接口につけないよう注意しましょう。
拝殿での参拝は「二礼二拍手一礼」が基本です。まず賽銭を静かに入れ、鈴があれば鳴らします。深く二回礼をし、胸の高さで二回拍手を打ち、最後にもう一度深く礼をします。
服装について
特別な服装規定はありませんが、神聖な場所であることを意識した服装が好ましいでしょう。極端に肌の露出が多い服装や、あまりにラフすぎる格好は避けるのが無難です。また、石段を登る場合は動きやすく歩きやすい服装を選びましょう。
撮影について
境内や社殿の外観は基本的に撮影可能ですが、社殿内部や宝物館の展示品は撮影禁止の場合があります。必ず係員の指示に従ってください。また、他の参拝者への配慮も忘れず、撮影の際は周囲の迷惑にならないよう心がけましょう。
静寂を守る心
境内では大声での会話を控え、静かな雰囲気を保つよう心がけます。特に社殿の前では、祈りを捧げる方々がいらっしゃいますので、静粛を保つことが大切です。携帯電話はマナーモードに設定し、通話は境内を離れた場所で行うようにしましょう。
石段を登る際の心得
1159段の石段は、単なる移動手段ではなく、心を整える参道でもあります。急がず、一段一段を踏みしめながら登ることで、自然と雑念が消え、清々しい心で社殿に到着できるでしょう。休憩は適宜取り、無理をしないことも大切です。また、すれ違う人には軽く会釈をするなど、お互いの登拝を尊重し合う気持ちを持ちましょう。
自然への敬意
久能山は自然豊かな霊山です。草花を摘んだり、生き物を傷つけたりすることのないよう、自然への敬意を持って訪れましょう。ゴミは必ず持ち帰り、美しい境内を次世代に残す意識を持つことが大切です。
これらのマナーは、決して堅苦しいルールではありません。むしろ、この神聖な場所で心静かに歴史と向き合い、先人への敬意を表すための自然な振る舞いです。心を込めた参拝が、訪れる方々にとってかけがえのない体験となることでしょう。
9. 関連リンク・参考情報
公式サイト
- 久能山東照宮公式ウェブサイト URL: http://www.toshogu.or.jp/ (拝観情報、年中行事、アクセス詳細などを掲載)
文化財関連
- 文化庁国指定文化財等データベース 久能山東照宮の国宝・重要文化財情報を確認できます
- 静岡県教育委員会文化財課 静岡県内の文化財情報を総合的に提供
アクセス関連
- 日本平ロープウェイ公式サイト 運行時刻、料金、イベント情報を掲載
- しずてつジャストライン(静岡鉄道バス) 路線バスの時刻表、運賃を確認できます
周辺観光情報
- 静岡市観光サイト「静岡市観光&グルメブログ」 久能山周辺の観光スポット、グルメ情報
- 日本平夢テラス公式サイト 展望施設の開館時間、イベント情報
関連する徳川家康公ゆかりの地
- 日光東照宮(栃木県日光市) 久能山東照宮を原型として造営された壮麗な霊廟
- 駿府城公園(静岡市葵区) 家康公が晩年を過ごした居城跡
- 岡崎城(愛知県岡崎市) 家康公生誕の地
宿泊情報
- 静岡市内のホテル・旅館情報 駿府城周辺、清水エリアなどに多数の宿泊施設あり
季節のイベント情報
- 静岡市公式観光サイト「ちゃっぷる」 市内の四季折々のイベント情報を掲載
これらのリンクを活用することで、久能山東照宮への訪問をより充実したものにすることができます。特に公式サイトでは最新の拝観情報や特別行事の案内が随時更新されていますので、訪問前には必ず確認されることをお勧めします。
10. 用語・技法のミニ解説
権現造(ごんげんづくり) 本殿と拝殿を「石の間」と呼ばれる相の間で繋いだ神社建築様式です。従来の神社建築では本殿と拝殿が別棟として独立していましたが、権現造ではこれらが一体化し、複合社殿を形成します。この様式は久能山東照宮で初めて完成され、後に日光東照宮へと継承されました。「権現」とは、仏が神の姿となって現れたものを意味し、神仏習合思想を反映した呼称です。横から見ると屋根が複雑に重なり合う美しいシルエットを描き出すのが特徴で、建築美と機能性を兼ね備えた革新的な様式として、江戸初期の建築史において重要な位置を占めています。この形式は「東照宮造」とも呼ばれ、徳川家康公を祀る建築の典型となりました。
こけら葺き(こけらぶき) 薄い木の板を何層にも重ねて屋根を葺く伝統的な工法です。「こけら」とは木材を削った時に出る薄片のことで、厚さ2〜3ミリメートルほどの板を使用します。通常、サワラやヒノキなどの木材が用いられ、一枚一枚を少しずつずらしながら竹釘で留めていきます。この工法は非常に高度な技術を要し、熟練の職人でなければ美しい仕上がりにはなりません。しかし、その労力に見合う優れた特性があります。木の板が呼吸することで湿気を調整し、建物を守る効果があり、また軽量でありながら耐久性に優れています。適切な維持管理を行えば、数百年の寿命を持つことができ、久能山東照宮の社殿が四百年を経て現在も美しい姿を保っているのは、この工法の優秀さを証明しています。現代では職人の減少により、この技術の継承が課題となっています。
漆塗り(うるしぬり) ウルシの樹液を精製した塗料を用いて、木材の表面を保護し美しく仕上げる伝統技法です。日本では縄文時代から使われている最古の塗装技術の一つで、防水性、防腐性に優れ、独特の深い艶を生み出します。久能山東照宮では黒漆が基調となっており、その上から極彩色の彩色や金箔が施されています。漆塗りは一度塗って終わりではなく、下地作りから始まり、何度も塗り重ねる工程を経て完成します。「下地→中塗り→上塗り」という基本工程だけでも、それぞれ数回ずつ繰り返されることもあり、完成まで数ヶ月から数年かかることも珍しくありません。また、漆は湿度と温度に敏感で、「漆風呂」と呼ばれる湿度の高い環境で乾燥させる必要があります。四百年前の職人たちは、この手間のかかる技法を駆使して、永遠の輝きを持つ社殿を創り上げたのです。
魚々子(ななこ) 金属の表面に微細な突起を無数に打ち出す装飾技法で、その外観が魚の卵(魚子)に似ていることから名付けられました。タガネという道具を使って一点一点丁寧に打ち込んでいく、極めて根気のいる作業です。この技法により、平面だった金属の表面に細かな凹凸が生まれ、光の当たり方によって繊細な輝きの変化が生まれます。久能山東照宮の金具装飾には随所にこの技法が用いられており、扉の飾り金具や柱の金具などで見ることができます。単なる装飾ではなく、金属の強度を高める効果もあり、美と機能を両立させた先人の知恵が詰まった技法といえるでしょう。現代でも一部の金工職人がこの技術を継承していますが、かつてのような精緻な仕事ができる職人は減少しており、文化財修復の現場では貴重な技術となっています。
極彩色(ごくさいしき) 鮮やかな多色を用いた彩色技法で、建築物や仏像などに施されます。赤、青、緑、黄、白、黒など、複数の色を組み合わせて豪華絢爛な装飾を生み出します。久能山東照宮の社殿では、漆塗りの黒を基調としながら、柱や梁、欄間などに極彩色が施され、金箔との調和によって目を見張る美しさを作り出しています。使用される顔料は、天然の鉱物や植物から作られたものが多く、辰砂(しんしゃ=赤)、群青(ぐんじょう=青)、緑青(ろくしょう=緑)などが代表的です。これらの天然顔料は化学塗料とは異なる深みのある色彩を持ち、時を経ても色褪せにくい特性があります。江戸初期の極彩色技術は、中国や朝鮮半島からの影響も受けながら独自の発展を遂げ、日本建築装飾の頂点を極めました。久能山東照宮の極彩色は、その最高峰を示す作品として、現在も多くの研究者や芸術家に影響を与え続けています。
おわりに
久能山東照宮は、四百年の時を超えて輝き続ける日本建築の至宝です。徳川家康公への深い敬慕の念から生まれたこの霊廟は、当時の最高峰の技術と芸術が結集された、まさに江戸文化の結晶といえるでしょう。
駿河湾を一望する山頂に佇む極彩色の社殿、1159段の石段を登りながら感じる心の浄化、そして宝物館に収められた家康公ゆかりの品々──そのすべてが、訪れる者に深い感動と歴史への畏敬の念をもたらします。
春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の富士。四季折々の表情を見せるこの聖地は、何度訪れても新たな発見と感動を与えてくれることでしょう。ぜひ実際に足を運び、その荘厳な美しさを、そして先人たちの想いを、ご自身の心で感じていただきたいと思います。
天下人の魂が眠る久能山で、あなたも歴史の息吹を感じてみませんか。