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1. 概要(導入):日本の古典ヒーロー伝説と芸の真髄
夜明け前の江戸――薄霧に浮かぶ紅殻格子の向こうから、太鼓と三味線の奏でる心地よい律動が、まるで魂を揺さぶるかのように響き渡ります。そして、その美しい音色に導かれるように現れるのは、**力強く、豪快な、まさしく日本の古典ヒーロー。**観客は思わず息を呑み、その圧倒的な一瞬に心を奪われ、完全に魅了されてしまうのです。
その勇壮な姿は、まるで現代の特撮ヒーローやアメコミの原点とも言える、眩いばかりのド派手なスペクタクル。しかしながら、「荒事(あらごと)」と呼ばれるその表現は、決して単に荒々しく勇壮なだけではありません。そこには、胸を締めつけるような哀調が漂い、人間の深い感情を描き出す、心に響くドラマの真髄が息づいているのです。
「これぞ、歌舞伎の真髄」と、人々が固唾を呑んで見守り、感動に身を震わせた名場面を重ねる十八の物語が選ばれました──それが、まさに「歌舞伎十八番」なのです。
歌舞伎十八番は、市川團十郎家(成田屋)の芸の魂として、江戸の息づかい、武士の気高い義、そして庶民の温かい情──あらゆる思いを体現する、まさに芸の結晶です。そればかりか、時代を超えて人々の心に深く響き続ける、日本が世界に誇る伝統のひとつとして、今なお私たちを魅了し続けているのです。
2. 基本情報
歌舞伎十八番は、約190年前に市川家によって特別に選定された、まさに宝のような特別な演目群なのです。
正式名称: 歌舞伎十八番(かぶき じゅうはちばん) ※当初は「歌舞妓狂言組十八番」と呼ばれていましたが、やがて親しみを込めて略されて「歌舞伎十八番」となりました。
主な出自・家系: 由緒ある市川團十郎家(成田屋)のお家芸として、誇りを持って制定されました。
制定・選定時期: 1832年(天保3年)3月に制定されました。この感動的な瞬間、七代目團十郎が愛する息子に八代目團十郎を襲名させた際、「歌舞妓狂言組十八番」という貴重な摺物を配布したのが起源です。そして、その後、1840年(天保11年)3月の記念すべき『勧進帳』初演時に「歌舞伎十八番之内」という表記が使われ、ついに「歌舞伎十八番」という呼称が江戸中に華やかに広まっていったのです。
制定者: 七代目市川團十郎(当時は五代目市川海老蔵を名乗る)が、深い愛情と誇りを込めて選定し、公表しました。実は、この感慨深い選定は息子に八代目團十郎を襲名させると同時に行われたもので、市川宗家の輝かしい権威を高めるという明確な目的がありました。
演目構成・特色: 18の珠玉の演目は、偉大なる初代、二代目、四代目團十郎が特に得意とした「荒事(あらごと)」の演目を中心に、愛情を込めて選ばれています。しかしながら、実に興味深いことに、選定時点ですでに内容が不明になっていた演目も含まれていたため、それらは明治以降に情熱的な創作を加えて、感動的に復活上演されることになりました。
文化的影響: 「得意技」「特技」を意味する一般語の「十八番(おはこ)」の語源については、実に興味深いことに複数の説があります。そのなかでも最も有力で心温まるのは、市川家が歌舞伎十八番の大切な台本を箱に入れて慈しむように保管し「御箱(おはこ)」と呼んだことに由来するという説です。また、「歌舞伎十八番」という名称自体が「得意芸」の意味で広く愛用されるようになったという説もあります。
※「歌舞伎十八番」は建造物ではなく、演劇という「演目群」であるため、「所在地」や「建立時代」といった情報は該当しません。
3. 歴史と制作背景:芸の魂を守る強い意志
江戸時代、歌舞伎は庶民の最大の娯楽として、目覚ましい進化を遂げました。そのなかでも、特に武勇と誇り、義理と情愛を大胆に、そして情熱的に描き出す「荒事」は、江戸っ子たちの心を鷲掴みにし、熱狂的な人気を博していたのです。そして、その輝かしい中心にいたのが**市川家(成田屋)**でした。
制定の背景
これらの貴重な演目が選定されたのは1832年(天保3年)3月のことです。この歴史的な瞬間、七代目團十郎が愛する息子の海老蔵に八代目團十郎を襲名させ、自らは五代目海老蔵に復しました。その際、贔屓客に「歌舞妓狂言組十八番」という心のこもった摺物を配布したのです。これが、まさに「十八番」の感動的な初出となりました。
さて、この画期的な選定の目的は何だったのでしょうか。それは、市川家だけが持つ武骨で力強い芸を「十八番」という輝かしい形で定めることで、市川宗家の揺るぎない権威を高め、芸を後世に永遠に伝えるという強い意志を明確にすることにありました。とりわけ、まだわずか10歳だった八代目團十郎を、輝かしい過去の偉大な團十郎たち(初代、二代目、四代目)と結びつけることで、江戸歌舞伎における市川宗家の揺るぎない地位を確固たるものにする狙いがあったのです。これは、まさに芸の未来を見据えた、深い戦略であり、愛情の表れだったと言えるでしょう。
『勧進帳』の初演と「歌舞伎十八番」の定着
そして、時は流れ、1840年(天保11年)3月の感動的な日のこと。七代目は偉大なる初代團十郎の没後190周年追善興行として『勧進帳』を初演しました。このとき、「私元祖より伝来候歌舞妓十八番之内」という誇らしい口上看板を掲げたことで、ついに「歌舞伎十八番」という呼称が江戸中に広く知られるようになったのです。なんとも感慨深く、胸が熱くなる瞬間だったに違いありません。
時代の変遷と「上演機会」の現状
しかしながら、残念なことに、すべての十八番が今日まで頻繁に演じられてきたわけではありません。時代の無情な変遷とともに、資料の散逸などにより、一部の演目は悲しくも上演が途絶え、内容が不明瞭なものもあります。実は、すでに七代目の時代には、その詳細はおろか筋書きの大略までもが霧の中に消えていたものもあったのです。
現在でもたまに上演されるのは少数で、特に『勧進帳』『暫』『助六』『鳴神』『矢の根』など、選ばれた数作品に限られています。つまり、全18作品のうち半分前後が時折上演されるものの、残念ながら大半は非常にまれ、または上演形態が定かでないのが切ない現状なのです。
けれども、希望の光は確かにあります。これらの失われた貴重な演目を、口承やわずかな評伝・錦絵などをもとに情熱的な創作を加えながら復元し、次々に「復活上演」を行ったのが、幕末から明治の九代目團十郎と、その婿養子として市川宗家を継いだ大正から昭和初期の五代目市川三升(後に十代目市川團十郎を追贈)でした。さらに、二代目市川左團次や二代目市川段四郎、二代目市川猿之助(後の初代猿翁)、七代目松本幸四郎、二代目尾上松緑なども、それぞれいくつかの演目を情熱を込めて復活上演しています。まさに、芸への深い愛情と情熱が生んだ奇跡と言えるでしょう。
4. 演目の特色と芸の技法:迫力のスペクタクル
歌舞伎十八番の真髄である「荒事」は、観客の目と心を圧倒的に魅了する、息を呑むような視覚的なスペクタクルが特徴です。それでは、その魅力を丁寧に紐解いていきましょう。
荒事の三要素(芸の構造)
荒事(あらごと):
- 解説: 大ぶりな鬘や華やかな衣装、印象的な隈取、迫力満点の大立ち回りといった派手で力強い演出によって、印象深く特徴づけられます。
- 初心者向けイメージ: 目を見張るようなド派手なアクションと大立ち回り! 荒ぶる力強さを圧倒的に表現する、まさに歌舞伎ならではの素晴らしいスペクタクルです。
隈取(くまどり):
- 解説: 顔に施す歌舞伎特有の化粧です。赤は正義や怒りを、一方で青は悪役や怨霊を表す、役柄を一瞬で鮮やかに伝える視覚言語なのです。
- 初心者向けイメージ: まるでアメコミのヒーローやヴィランのような、個性を際立たせる印象的なシンボル化粧。
見得(みえ):
- 解説: 物語のクライマックスなどで役者が一瞬ポーズを決め、観客に強烈な印象を与える決めの姿勢です。これは、役者の内面の感情を爆発的に解き放つ、まさに感動的な瞬間なのです。
- 初心者向けイメージ: 最高のシャッターチャンス!舞台が静止する”決定的瞬間”。心に焼きつく美しさです。
役者絵と庶民への広がり
ところで、実に興味深いことに、『暫』や『助六』などは、江戸時代に**役者絵(浮世絵)**の魅力的な題材として広く描かれました。そのおかげで、舞台の華やかさが庶民の手にも届き、ついに歌舞伎が国民的な文化として広がる素晴らしい基盤となったのです。なんとも素晴らしい文化の広がりですね。
5. 【必見!】歌舞伎十八番:おすすめ五選と全リスト
それでは、ここでは初心者の方にぜひ心から見ていただきたい、上演機会が比較的多い五つの珠玉の演目と、公認されている十八番の全リストを愛情を込めて紹介していきます。
初心者におすすめの五選(上演頻度が高い演目)
暫(しばらく)
- 特徴: 荒事の魅力を凝縮した作品で、豪快な登場シーンが最大の見どころです。危機一髪の緊迫した場面に「しばらく!」と声が響き、颯爽とヒーローが登場します。まさに、痛快そのもので、胸がすくような爽快感です。
勧進帳(かんじんちょう)
- 特徴: 芝居の構成美と忠義の物語です。源義経とその家来・弁慶の主従愛を描く、最も有名で劇的な作品と言えるでしょう。1840年(天保11年)に七代目團十郎によって初演され、能の『安宅』を歌舞伎化した作品として、松羽目物の始まりとなりました。感動の名作であり、涙なしには観られません。
助六(すけろく)
- 特徴: 江戸の粋と色気を見事に体現しています。紫の鉢巻と粋な着流しが魅力的なヒーロー。華やかさと江戸の文化を象徴する演目であり、見る者をたちまち江戸情緒へと誘います。華やかで心躍る作品です。
鳴神(なるかみ)
- 特徴: 特殊な役柄と変身シーンが見どころです。修行僧が色恋沙汰で破戒し、そして雷神に変貌するさまを迫力ある荒事で演じます。その劇的な変化に、観客は思わず息を呑むことでしょう。
矢の根(やのね)
- 特徴: 正月らしいめでたさとユーモアに溢れています。五郎丸という荒事のヒーローの、のんびりとしたユーモラスな一面が温かく描かれます。ほっこりとした温かさと優しさが魅力です。
歌舞伎十八番 全演目リスト(順不同)
以下に、18演目の代表的なタイトルを順不同で示します。
不破 / 鳴神 / 暫 / 不動 / 嫐(うわなり) / 象引 / 勧進帳 / 助六 / 押戻(おしもどし) / 外郎売(ういろううり) / 矢の根 / 関羽(かんう) / 景清 / 七つ面 / 毛抜 / 解脱 / 蛇柳(じゃやなぎ) / 鎌髭
6. 鑑賞の秘密:舞台機構とサウンドトラックの役割
実は、驚くべきことに、歌舞伎の舞台は、江戸時代に生まれた素晴らしいハイテク技術の結晶なのです。その巧みな仕掛けを知れば、鑑賞がいっそう楽しく、深い感動を味わえることでしょう。
舞台機構:江戸のハイテク演出
花道(はなみち): 役者が客席を通り抜けて出入りする通路です。ここでは、役者と観客が最も近い距離で一体感を生む、まさに魔法のような空間となります。まるで、役者が自分のすぐそばを通り過ぎるような臨場感は、まさに圧巻で、心が震えます。
廻り舞台(まわりぶたい): 舞台の一部が滑らかに回転し、場面転換を一瞬で行う画期的な演出技術です。この素晴らしい技術により、物語が美しく流れるように展開していきます。
セリ: 舞台の一部が上下に動く機構です。昇降によって、地獄や雲の上といった空間移動を見事に表現します。まるで魔法のような演出で、観客を異次元へと誘いますね。
歌舞伎のサウンドトラック:下座音楽(げざおんがく)
さて、舞台の臨場感を劇的に高めるのが、舞台袖や奥で演奏される下座音楽です。これがまた、実に効果的で、心に響くのです。
太鼓・大太鼓: 雨、雪、波、風などの自然現象から、登場人物の激しい感情まで、様々な情景を見事に表現します。聴くだけで、まるで目の前に情景が鮮やかに浮かぶようです。
三味線: 役者のセリフや動きのリズムを繊細に支え、芝居全体に抑揚と緊張感を与えます。その美しい音色は、まさに芝居の心臓部と言えるでしょう。
ツケ: 役者の立ち回りや見得に合わせて、拍子木を舞台袖の板に打ち付ける音です。効果音として劇的な瞬間を強調します。この「パン!」という爽快な音が、場面を一気に盛り上げ、観客の心を掴むのです。
7. 鑑賞のポイント:初めてでも楽しめるステップ
それでは、初めて歌舞伎を観る方のために、心から楽しむためのポイントを親切にお伝えしましょう。
① スマホで予習!あらすじをチェック
「歌舞伎はセリフがわかりにくい」という不安は、簡単な事前予習で解消できます。実は、これがとても重要で、感動を左右するのです。
劇場公式サイトの「あらすじ解説」を読むのが最も確実で効果的です。あらかじめ物語の流れや役柄の関係を理解しておくと、見得の意味や伏線がわかり、そして感動が何倍にも膨れ上がります。ぜひ、試してみてください。きっと、驚くほど楽しめるはずです。
② 手軽に楽しむ「一幕見席」を活用
「通しの公演は長いし高いかも…」と不安な方へ、嬉しい朗報です。
一幕見席(まくみせき)は、最も手軽で気軽な選択肢です。1公演のうち1つの人気演目(一幕)のみを、比較的安い価格で(主に立見で)楽しめます。まずはこれで劇場の華やかな雰囲気を体験してみましょう。きっと、歌舞伎の魅力に心を奪われ、すっかりハマるはずです。
③ 劇場での振る舞い方(マナー)
実は、歌舞伎鑑賞は、観客と役者が一体となる「共演」の素晴らしい世界なのです。ですから、マナーも大切にしたいものです。
静かに観ることも、役者への最高の応援です。 したがって、上演中の大声での会話や、携帯電話の操作は厳禁です。
かけ声(大向う): 見得が決まるなどの最高の瞬間に、役者の屋号(成田屋など)を呼ぶのは、賞賛の気持ちを表す素晴らしい伝統です。しかし、これは熟練の方にお任せしましょう。
幕間の楽しみ: 幕間には、場内の茶屋で美味しい食事や和菓子を楽しんだりして、休憩時間も江戸の風情ある雰囲気に浸ってみましょう。この時間もまた、格別な楽しみで、心が豊かになるのです。
8. 用語・技法のミニ解説
荒事(あらごと): 豪快で誇張された身振りや化粧を伴う、市川家が得意とする迫力ある演出スタイルです。
見得(みえ): 舞台上で役者が一瞬ポーズを決め、強い印象を与える決めの姿勢です。
隈取(くまどり): 顔に施す歌舞伎特有の化粧です。役の性格や感情を象徴的に表します。
役者絵(やくしゃえ): 浮世絵の技法で描かれた役者や舞台を描いた版画です。
十八番(おはこ): 「得意なこと」「特技」を意味する一般語です。語源には諸説ありますが、市川家が台本を箱に入れて保管した「御箱」に由来するという説が有力です。
9. まとめ:時代を超えて生きる芸の魂
歌舞伎十八番は、単に過去の演目を集めたリストではありません。それは、江戸時代に七代目市川團十郎が、代々受け継がれてきた市川家の「荒事」の精神と型を未来永劫に伝えるために打ち立てた、まさに芸の魂の記念碑なのです。
歌舞伎十八番が私たちに伝えるもの
武骨で力強い美: 隈取や荒事のダイナミックな演技を通して、古き良き日本のヒーロー像、そして義理人情の強さを力強く伝えます。その姿は、時代を超えて私たちの心を揺さぶり、感動させます。
生きた伝統: 一度は失われた型を情熱的に復活させ、今もなお進化し続ける「生きた文化」としての努力と情熱があります。これこそが、伝統の真の姿であり、美しい姿なのです。
日常への浸透: 「おはこ(十八番)」という言葉となって、私たちの日常語に自然と溶け込んでいる文化的影響力。知らず知らずのうちに、私たちは歌舞伎の文化を受け継ぎ、大切にしているのです。
初めて歌舞伎座の扉をくぐり、目の前で荒事の隈取を施した役者が花道を颯爽と通る瞬間、あなたはきっと江戸の熱気を肌で感じ、心が震えることでしょう。そして、その興奮と感動は、きっと一生忘れられない素晴らしい思い出となるはずです。ぜひ、この記事をガイドに、日本が誇るこの壮大な「古典ヒーロー伝説」の世界に勇気を持って足を踏み入れてみてください。きっと、新しい感動と発見があなたを待っています。心が豊かになる、素晴らしい体験があなたを待っているのです。
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