ホーム > 伝統芸能と舞台芸術 > 1300年前の国際音楽フェス! 管絃・舞楽に見る天平の響き

1300年前の国際音楽フェス! 管絃・舞楽に見る天平の響き

by MJ編集部

正倉院宝物:音なき音の記憶

1. 概要(導入)

正倉院に収められている楽器や舞楽装束は、なぜ現代まで残っているのでしょうか? これらは単に聖武天皇の愛用品だっただけでなく、当時の日本で行われた国際色豊かな国家儀礼・法要の場で用いられた音楽文化の集積の証拠なのです。

朝靄に包まれた奈良の都を想像するとき、私たちの耳にかすかに届くものがあります。それは、千三百年の時を超えてなお消えぬ、まさに天平の管絃と舞楽の余韻です。そして、その余韻は、今なお私たちの心に深く響き続けているのです。

朱塗りの伽藍(がらん)に陽光が射し、そして玉砂利を踏む音が静まり返るとき、かつてこの地に響いていた笙や篳篥の調(しら)べが、心の奥でそっと鳴り始めます。正倉院に伝えられた楽器や舞楽装束は、決して単なる遺物ではありません。それらは、祈りと政治、国際交流と美意識が交差した天平文化そのものであり、そして音楽を通じて世界と結ばれていた日本の姿を雄弁(ゆうべん)に物語ります。その響きは今や音を失いながらも、見る者の心の琴線(きんせん)に触れ、深い感動をもたらしてくれるのです。まさに、時を超えた文化の架け橋なのです。

【追記:文化財としての特殊性と連続性】

正倉院の宝物は、単に古いだけでなく、制作当時の姿をほぼそのまま現代に伝えるという点で世界的にも極めて特殊な文化財です。天平勝宝8年(756年)の奉納から現代に至るまで、宝庫の扉は原則として厳重管理下で限定的に開扉されてきました。そして、この厳重な管理体制こそが、楽器の木材や革、そして装束の繊細な織物が、千年の時を超えて奇跡的に生き残った最大の理由です。これらの楽器は、後の日本の音楽の発展、特に雅楽の成立に決定的な影響を与え続けている「生きた歴史の証人」なのです。

2. 基本情報

正倉院宝物に伝わる管絃・舞楽関係資料は、主に奈良時代(8世紀・天平期)に制作されました。

正式名称: 正倉院宝物(しょうそういんほうもつ)に伝わる管絃・舞楽関係資料

所在地: 奈良県奈良市雑司町(東大寺境内・宮内庁管理)

伝来の中心人物: 聖武天皇、光明皇后

種別: 楽器(管楽器・弦楽器・打楽器)、舞楽装束、仮面

文化財指定: 国宝(正倉院正倉の建物のみが1997年5月19日に国宝指定。宝物自体は宮内庁管理のため指定対象外)

世界遺産: 正倉院正倉は「古都奈良の文化財」の構成資産として1998年に世界遺産登録されています。東大寺(大仏殿・南大門など)も同じく構成資産として登録されています。

3. 歴史と制作背景:国際交流の中心だった雅楽

奈良時代の日本は、中国(唐)の豪華な文化を積極的に取り入れた、きらびやかな時代でした。これが天平文化です。そして、この文化の輝きは、今なお私たちを魅了し続けています。

天平文化の管絃・舞楽は、決して単なる娯楽として存在したものではありません。奈良時代、音楽と舞は国家祭祀・外交儀礼・仏教行事の中核を成す、極めて重要な文化要素でした。まさに、国家の威信をかけた芸術だったのです。

とりわけ、東大寺大仏の開眼供養(かいげんくよう)(天平勝宝4年・752年)は象徴的な出来事です。この一大法要には、唐(中国)・新羅(しらぎ)(朝鮮半島)から伝来した楽舞、そして天竺(てんじく)系の影響を受けたとされる楽舞が動員され、国家の威信(いしん)と仏法の荘厳(そうごん)さを内外に示しました。この壮大な響きは、当時の日本の国際性を伝える貴重な資料です。そして、その感動は、時を超えて今も私たちに伝わってくるのです。

正倉院に伝えられた楽器の多くは、このような宮廷儀礼や仏教行事で用いられたものです。笙(しょう、日本で独自に発展した複数管を束ねた口笙系の管楽器)、篳篥(ひちりき、主旋律を担うオーボエのような楽器)、竜笛、琵琶(中国から伝来し日本でも演奏された撥弦楽器)、箜篌(くご、ハープのような楽器)といった楽器群は、シルクロードを経て伝来した音楽文化を、日本的感性のもとで昇華した証といえるでしょう。まさに、東西文化の融合の結晶なのです。

それらは聖武天皇の崩御後、光明皇后が「国家と仏法のために用いられた聖なる品」として東大寺大仏に奉納し、そして正倉院に納められました。当時の日本は、律令国家としての体裁を整えつつ、積極的に大陸文化を受容していた時代です。管絃・舞楽は、国際性と精神性を併せ持つ総合芸術として、天平社会の理想を音と動きで体現していました。その背景には、「音楽は人心を和らげ、国を治める」という儒教的思想と、「仏を讃嘆する供養」という仏教的信仰が、静かに溶け合っていたのです。

【追記:具体的な楽種と国際的背景の深掘り】

天平時代の管絃・舞楽は、決して単一の文化から生まれたものではありませんでした。正倉院には、古代のアジア全域の音楽が集約されています。当時の楽種(音楽のジャンル)は、主に以下の系統に分類されていました。

唐楽(とうがく): 主に中国の宮廷音楽を源流とする、最も華やかで中心的な音楽。

高麗楽(こまがく): 朝鮮半島を経由して伝わった音楽や舞。

諸外国系音楽: 林邑楽(りんゆうがく)や天竺系楽舞など、南アジアや東南アジアを経由して伝来した、非常に珍しい系統の音楽。

正倉院には、これらの楽種で用いられたとみられる楽器が多種多様に遺されています。特に、唐楽に必須だった琵琶や箏だけでなく、ウズベキスタンやタジキスタンなど中央アジア起源とされる**箜篌(くご)**のような弦楽器が残されている事実は、当時の日本の文化受容の範囲が、シルクロードの終着点としていかに広大だったかを物語っています。奈良時代の国際性は、想像以上にグローバルだったと言えるでしょう。まさに、驚くべき文化交流の証なのです。

【追記:律令制度と音楽の公的役割】

奈良時代は律令国家として制度が整備されましたが、音楽もそのシステムに組み込まれていました。宮中には雅楽寮(うたまいづかさ)という役所が設けられ、楽人(演奏家)の育成と管理が行われていました。正倉院の楽器は、主に天皇や朝廷の重要儀式で用いられた楽器と、儀礼用・保存用として保管されたものが混在しており、国家的な大儀式を成功させるための「公的な道具」の一部でした。楽器の豪華な装飾は、単に美しいためだけでなく、国家の権威と制度の確かさを視覚的に表現する役割も担っていたのです。

4. 建築的特徴と技法:世界に誇る豪華な装飾技術

正倉院宝物の楽器に目を向けると、まず心を打たれるのは、素材と技法の多様さです。紫檀(したん)や黄楊(つげ)材、象牙(ぞうげ)、螺鈿(らでん)、金銅装といった素材が惜しみなく用いられ、実用品でありながら、極めて高い美術性を備えています。まさに、芸術品と呼ぶにふさわしい逸品なのです。

例えば、正倉院琵琶の胴(どう)に施された螺鈿文様は、演奏中には見えにくい部分にまで丁寧に施されており、制作者が神仏や天皇に捧(ささ)げる品として、一切の妥協を許さなかったことが伝わってきます。そして、特に螺鈿紫檀五絃琵琶のように、現代の雅楽琵琶とは形状が異なる、大陸的な装飾性の高い五絃の琵琶が残されている点も、当時の音楽文化の多様性を示しています。

また、舞楽装束に用いられた織物や染色技法には、唐風文様と日本的な配色感覚が巧みに融合され、動きの中で最も美しく映えるよう計算されています。

これらを生み出した無名の工人たちは、単なる職人ではなく、文化を担う知の継承者でした。音を響かせ、舞を際立たせるための構造的工夫は、現代の雅楽にも脈々と受け継がれています。正倉院宝物は、まさに「用の美」と「祈りの美」が結晶した存在といえるでしょう。

【追記:楽器の素材とその流通経路の深掘り】

楽器製作に用いられた素材の多くが、当時の日本国内では入手困難なものでした。

紫檀(したん): 現代の高級家具にも使われる、硬く美しい赤褐色の木材で、主に東南アジアやインドからの舶来品です。

象牙(ぞうげ): 奈良時代、日本国内には象が生息していなかったため、これは遥かインドや東南アジアからの輸入を意味します。

撥鏤(ばちる): 象牙を染料で赤く染め、表面を彫刻して文様を白く浮かび上がらせる技法。正倉院の琵琶の撥(ばち)などに用いられ、その繊細さは類を見ません。

これらの素材が、当時の工芸技術である螺鈿や**金銀平脱(きんぎんへいだつ)**といった技法と組み合わされることで、正倉院の楽器は単なる道具ではなく、素材と技術の国際的な結晶となりました。特に、**金銀平脱(薄い金銀の板を文様に切り抜き、漆面に貼り付けた後に研ぎ出す技法)**は、高度な技術が要求され、天平の美術工芸品の到達点を示しています。まさに、技術の粋を集めた宝なのです。

【追記:楽器構造の科学的意義】

正倉院の楽器が現代の雅楽に残された形式と異なる点も重要です。例えば、現代雅楽で用いられる楽琵琶は、四絃を基本とする現行雅楽琵琶であるのに対し、正倉院には五絃の琵琶が存在し、フレットもより多くついています。これは、唐から伝わった音楽が変化する前の、より古代的な形態を伝えていることを示唆しています。また、一部の琵琶には、共鳴胴に音響効果を高めるための構造的な工夫が施されていることも、最新の科学調査で判明しており、当時の工人の技術力の高さが伺えます。

5. 鑑賞のポイント:音なき展示品から響きを感じる

正倉院宝物は常設公開されていないため、鑑賞の機会は主に**秋の正倉院展(奈良国立博物館)**に限られます。

照明を落とした展示室で、静かに浮かび上がる楽器や装束を前にすると、音なきはずの展示品が、不思議と「響き」を伴って迫ってきます。まるで、時を超えて天平の音楽が聞こえてくるかのようです。

鑑賞の際は、まず全体の佇(たたず)まいを遠目に味わい、その後、装飾の細部に目を凝(こ)らすのがおすすめです。螺鈿のきらめき、革の張り具合、彩色の残欠(ざんけつ)――そこに、かつての演奏や舞の一瞬が封じ込められています。

【補足:現代に蘇る天平の響き】

正倉院のオリジナル楽器は、保存のために演奏されることはありません。しかしながら、その緻密な構造は現代の楽器職人や研究者によって詳細に分析され、忠実な復元楽器が制作されています。もし演奏の機会があれば、復元楽器によって蘇った天平時代の音色を聴くことで、宝物の価値をより立体的に感じることができるでしょう。

秋の深まりとともに訪れる奈良の空気は、天平の気配を最も濃く感じさせてくれるでしょう。そして、その瞬間、あなたは千年の時を超えた旅に出ることができるのです。

【追記:正倉院展の持つ役割】

正倉院展は、単なる美術展覧会ではありません。それは、1300年間途切れることなく続いてきた「奉納品を維持管理する」という皇室の伝統と、そしてそれを支える宮内庁や奈良国立博物館の文化財保存への努力の結晶です。宝物は毎年入れ替えられ、その年ごとに異なるテーマや視点から、天平文化の断片を公開します。鑑賞者は、そこに飾られた楽器や装束を「遠い昔の宝物」として見るだけでなく、「現代に受け継がれている生きた伝統」の一部として捉え直すことで、鑑賞の深度が増すでしょう。展示室では、楽器の繊細な装飾だけでなく、木目や漆の微細なひび割れ一つ一つに、悠久の時の流れを感じ取ることが重要な鑑賞のポイントとなります。

6. この文化財にまつわる物語(特別コラム)

① 大仏開眼供養の一日

天平勝宝四年、東大寺の伽藍には諸国から集まった僧侶と使節が居並び、そして空には香煙が立ち昇っていました。舞台に立った楽人たちが笙を構え、篳篥が最初の音を放った瞬間、沈黙していた大地が震えるように応えたと『続日本紀』は伝えます。この日奏でられた音楽は、単なる祝祭ではなく、「国家安泰」と「万民救済」を願う祈りそのものでした。まさに、魂を込めた演奏だったのです。

② 光明皇后の奉納

聖武天皇の崩御後、光明皇后は深い悲しみの中で、夫が愛し、国家のために用いた数々の宝物を整理します。その中にあった楽器や舞楽装束を前に、皇后は「これらは人のためではなく、仏のために在るべき」と決断しました。こうして正倉院に納められた品々は、個人の記憶を超え、永遠の公共財として守られることになったのです。皇后の深い愛情と信仰が、これらの宝物を守り続けてきたのです。

③ 【奇跡の復活】1300年の時を超え、音は現代に蘇る

正倉院の楽器は、もはや実際に奏でられることはありません。しかしながら、修理や調査に携わった研究者たちは口を揃えて言います。「触れた瞬間、楽器が”生きている”と感じる」と。

そして、現代の楽器職人や研究者は、残された寸法や構造を詳細に分析し、極めて忠実な復元楽器が制作されています。宮内庁楽部などによってこれらの復元楽器が奏でられるとき、私たちは、1300年前の東大寺で響いた天平の音色を、奇跡的に体験することができるのです。音を失ってなお、天平の精神を語り続ける存在――それこそが、これら宝物の真の力なのかもしれません。

④ 奇跡の宝庫「校倉造」の知恵

正倉院の宝庫は、**校倉造(あぜくらづくり)**という独特な建築様式で建てられています。これは断面が三角形の木材(校木(あぜぎ))を積み重ねて壁とする構造です。この建物自体が、楽器や絹織物を守るための巨大な「保管システム」として機能していました。

かつては、湿度の高い夏には校木が膨張して隙間を塞ぎ、乾燥する冬には収縮して適度に通気性を確保するという調湿機能があると考えられていました。しかしながら、その後の科学的調査により、重い屋根の荷重がかかる校木が伸縮する余地はないことが判明しています。

実際には、楽器が木材の反りやカビから守られ、装束の織物が変質せずに残ったのは、以下の理由によるものです:

  • ヒノキ材そのものの調湿作用: 校倉造の壁材であるヒノキが湿度を吸放出し、急激な変化を抑える
  • 高床式構造: 地面からの湿気を防ぎ、通風を確保する
  • 宝物を収める杉の箱: 宝物が多重の箱に収められていたことで、湿度の急変が避けられた

つまり、宝物保存の秘密は、木材の伸縮ではなく、木材そのものの性質と、多重構造による保護にあったのです。まさに、先人の知恵の結晶と言えるでしょう。

⑤ 現代雅楽への絶大な影響

正倉院の楽器は、実際に演奏されることはありませんが、しかしながら、現代の日本の宮廷音楽である雅楽(ががく)の規範を定める上で、絶対的な基準となっています。明治時代以降、雅楽の復興と整理が行われた際、正倉院の楽器の形状や構造が詳細に調査され、「最も正しい古代の姿」として、現代の雅楽楽器の製作基準となりました。正倉院の楽器は、音を失っていても、現代の日本の音楽文化の「DNA」**として、その形を伝え続けているのです。現代の雅楽のコンサートを聴く際、その音色が遠く正倉院の宝物の構造に由来していることを知ると、音楽体験がより豊かなものになるでしょう。

7. 現地情報と観賞ガイド

正倉院宝物の鑑賞機会は、主に年に一度、**秋の正倉院展(奈良国立博物館)**に限られます。

【観賞の基本情報】

公開機会: 正倉院展(例年10月下旬〜11月)

会場: 奈良国立博物館

拝観料: 一般 約1,500円前後(年によって変動あり)

アクセス: 近鉄奈良駅より徒歩約15分

所要時間: 1.5〜2時間

周辺スポット: 東大寺、春日大社、奈良公園

特別情報: 展示替えがあるため、事前の情報確認を推奨します。

【追記:正倉院周辺の環境との関連性】

正倉院は、東大寺大仏殿のすぐ北東に位置し、奈良公園という豊かな自然環境の中にあります。鑑賞に訪れた際は、宝物を見るだけでなく、東大寺の荘厳さ、そして当時の伽藍配置を想起させる周辺エリアを歩くことをお勧めします。奈良国立博物館から東大寺へと続く道のりは、まるで当時の楽人が大仏開眼供養に向かった道を辿るかのようで、歴史的な臨場感を高めてくれます。そして、その道を歩くとき、きっとあなたも天平の風を感じることでしょう。

8. マナー・心構え

展示室では静かに歩み、そして作品と心で向き合う時間を大切にしましょう。写真撮影の可否は必ず案内に従い、文化財への敬意を忘れずに。

【追記:美術鑑賞の心構え】

正倉院展の会場は混雑することが予想されますが、しかし、急いで通り過ぎるのではなく、一点一点の前に立ち止まり、その裏側にある物語や技術に思いを馳せる静かな時間を持つことが大切です。これらの宝物は、決して単なる「古いもの」ではなく、1300年前に生きた人々の国際性、美意識、そして祈りが凝縮されたメッセージです。ぜひ、心静かに、そして深く、その声に耳を傾けてみてください。

9. 関連リンク・参考情報

  • 宮内庁 正倉院事務所
  • 奈良国立博物館 正倉院展特設ページ
  • 文化庁 国指定文化財等データベース

10. 用語・技法のミニ解説

舞楽(ぶがく): 雅楽に合わせて舞われる古代舞踊。唐・高麗系に分類。

螺鈿(らでん): 貝殻を薄く削り、漆器や木地の表面に嵌め込む装飾技法。光沢が美しい。

篳篥(ひちりき): 主旋律を担う管楽器。強い音色が特徴。

正倉院: 東大寺の宝庫。校倉造(木材を三角形に組んだ構造)で知られる。

校倉造: 断面が三角形の木材を井桁に積み上げた建築様式。通気性と構造的強度を兼ね備える。

金銀平脱: 薄い金銀の板を文様に切り抜き、漆面に貼り付けた後に研ぎ出す高度な装飾技法。

11. まとめ:時を超えて響く祈り

正倉院宝物は、単なる古代の遺物ではありません。それは、1300年の時を超えて、今なお私たちに語りかける、天平の人々の祈りと夢の結晶なのです。そして、その楽器や装束は、音を失ってなお、見る者の心に深い感動を呼び起こします。

初めて正倉院展を訪れる方も、この記事をガイドに、ぜひその奥深い世界に足を踏み入れてみてください。きっと、新しい発見と感動があなたを待っています。そして、その瞬間、あなたは時を超えた壮大な物語の一部となるのです。心が豊かになり、魂が震える、そんな素晴らしい体験が待っているのです。


作品名:Shosin-shouso.jpg / 正倉院外構公開 著作者:あずきごはん ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 (CC BY-SA 4.0)(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja) 出典元:wikimedia commons

You may also like