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平山郁夫 ―― 群青に宿る祈りと、シルクロードをめぐる静かな旅

by MJ編集部

1. 導入──砂漠に触れる、遠い記憶の呼吸

朝の光が砂丘を淡く染めるとき、世界は一瞬だけ音を失います。冷たい影が揺れ、砂の粒がさらりと風に触れる――その静けさの中に、私たちの知らないはずの懐かしさがふっと立ち上がってくることがあります。

平山郁夫が生涯をかけて描いたシルクロードの風景は、異国の記録であると同時に、日本人の心の底に隠れていた“原風景”をそっと呼び覚ますものでした。砂漠の縁に光るオアシス、月明かりの下でゆっくりと進む隊商の影、天に向けて立ち上がる古代遺跡の黒い輪郭。その一つひとつが、私たちに届かないはずの何かを静かに語りかけてくるのです。

平山の絵を前にすると、初めて見る景色なのに、どこか懐かしい。仏教が海と陸を越えて日本へ辿り着いた道の息づかいが、絵の奥からそっと流れ出してくるからかもしれません。

彼の画業は、風景画ではありません。
それは、祈りの軌跡であり、文化の記憶であり、人類の旅の道のりを描く“静かな巡礼録”なのです。


2. 基本情報

作家名:平山郁夫(1930–2009)
出身地:広島県瀬戸田町
所属:日本画/新日本画様式
受賞歴:日本芸術院賞、文化勲章、ユネスコ平和芸術家 ほか
代表作:『仏教伝来』『入涅槃幻想(にゅうねはんげんそう)』『大唐西域壁画』、シルクロードシリーズ
所蔵:東京国立近代美術館、薬師寺玄奘三蔵院、平山郁夫シルクロード美術館 ほか


3. 歴史と制作背景──被爆体験が導いた「平和の絵画」

1945年8月6日。十五歳の少年だった平山は、広島市修道中学校で被爆しました。強烈な閃光と爆風のあとに訪れた静寂、そしてその直後に広がっていた世界を、平山はのちに「色彩が奪われた風景だった」と語っています。急性放射線障害との闘いは長く続き、命の脆さと世界の儚さを深く刻み込む経験となりました。

のちに東京美術学校へ進学し、前田青邨(まえだせいそん)に師事します。写生や技法の習得に励みながらも、平山の内側には「何を描くべきか」という問いが常に揺れていました。その答えを与えたのが、法隆寺金堂壁画の模写です。飛鳥・白鳳の色彩と遠いアジアの風の余韻に触れたとき、日本文化が大陸の祈りとともに長い旅をしてきた事実に深い感銘を受けたのです。

1959年発表の『仏教伝来』は、その気づきの結晶でした。金色の霞の中を進む使節と仏像の姿は、歴史画であると同時に、平山自身の“救いへの希求”が滲む作品でもあります。続く『入涅槃幻想』では、釈迦の入滅に平山自身の鎮魂の祈りが重ねられ、幻想的な群青(ぐんじょう)の空に心の揺れが静かに映し出されています。

そして1968年。文化大革命下の中国への粘り強い交渉が実り、ついに敦煌・バーミヤン・楼蘭(ろうらん)など、古代文明の残響が息づく地を訪れます。砂漠の広がり、乾いた空気、果てを知らない道の静寂――それらすべてが平山の心を震わせました。彼の絵画はこのときから“風景”ではなく、“文化の道そのもの”を描くものへと変わっていきます。

その後、150回を超えるシルクロード取材が生涯続きました。
文明の交差点であるその地に、平山は「戦争の荒廃を越えて人と文化がつながる希望」を見ていたのです。


4. 芸術的特徴──群青の深さがつくる、静かな光

平山郁夫の絵を前にしたとき、まず目に入るのは“青”です。
しかしそれは単なる色ではなく、何層もの薄い膜が静かに重なり合った深い気配のようなものです。

■ 群青という物質の祈り

使用した天然群青はアフガニスタン産のラピスラズリ。
かつて玄奘三蔵も歩いたその大地から採れた鉱石は、シルクロードの産物そのものでした。
平山はこの群青を何十層も薄く重ね、“色が光を抱く瞬間”を画面に宿らせました。

■ 光を描かず、光の変化を描く

砂漠の朝焼け、夕暮れ、月の夜――
平山が描く光は眩しさではなく、“移ろい”です。
薄明の境目の柔らかい影や、砂の上に沈む淡い光の温度が、静かに画面に漂います。

■ 構図にある“祈りの距離”

人物はいつも小さく描かれ、自然は大きく、空はさらに広い。
それは、人間が小さいからではなく、
“広大な時間の流れの中で文化が受け継がれてきた”という視点を示すためでした。

彼の絵画には、常に「静けさ」と「遠い記憶の呼吸」があり、
その向こう側に祈りの気配がふっと漂っているのです。


5. 鑑賞ポイント──沈黙を聞くために

平山作品と向き合うときに大切なのは、説明ではなく“静かな時間”です。
できれば数歩離れて全体を眺め、
その後、ゆっくりと近づき、群青の層の揺らぎを見つけてみてください。

  • 空のグラデーションがどの方向に動いているか
  • 砂漠の影がどこへ沈んでいくのか
  • 小さく描かれた人物が、どの方向を向いているのか

それらを丁寧に追っていくと、
画面の中に「音のない旅」が静かに流れ始めるはずです。


6. 平山郁夫にまつわる物語

物語その一:被爆手帳と群青の誓い

平山の机の引き出しには、いつも被爆者健康手帳が入っていました。
ある時期、体調を崩して倒れ込み、医師から制作の中断を勧められたことがあったと、家族は語っています。

しかし回復した平山が最初に向かったのは、絵具棚の前でした。
「描くことが、自分に許された祈りなのです」
そう静かに語ったといいます。

群青を重ねることは、平山にとって“命が続いている証”であり、
また「戦争の悲劇を繰り返してはならない」という静かな誓いでもありました。


物語その二:バーミヤン大仏との約束

1970年代、平山は初めてバーミヤンの石窟に立ちました。
断崖に刻まれた巨大な大仏は、風と砂にさらされながらも、穏やかな表情で空を見上げていました。

「この大仏は、道を旅する人々の心を支えてきたに違いない」
そう記し、以後も何度も訪れ、その姿を描き続けました。

2001年、タリバン政権によって大仏が破壊されたとき、
平山は深く沈黙したと関係者は語っています。
しかし、すぐにこうも言ったそうです。

「形は破壊されても、文化の記憶は失われません。
私たちが伝えていけば、必ず残ります。」

その後、平山はバーミヤンの絵を丁寧に描き続け、
“姿を失った文化財のための肖像画”として、多くの人々の心に残る作品となりました。


物語その三:最後の旅──敦煌への思い

晩年、体調が優れない時期が続きながらも、
平山には「もう一度だけ敦煌に立ちたい」という願いがあったと、付き添った助手が回想しています。

莫高窟(ばっこうくつ)の前に立ったとき、
平山はしばらく目を閉じ、
「文化は、時代を越えて人を結びます」と静かに呟いたといいます。

帰国後、彼は最後の作品に着手しました。
月明かりに照らされた敦煌(とんこう)の石窟と、その前をゆっくり歩く旅人――
その姿はまるで、静かに永遠へ歩み出す人影のようでした。

作品が未完のまま、2009年12月、平山は静かに旅立ちます。
しかし群青の奥に残された“祈り”は、今も変わらず息づいています。


7. 鑑賞ガイド

■ 平山郁夫シルクロード美術館(山梨県北杜市)

  • 開館:10:00–17:00(季節により変動)
  • 所要:2〜3時間
  • 特徴:代表作とシルクロード文化財を併せて展示

■ 平山郁夫美術館(広島県瀬戸田町)

  • 開館:9:00–17:00
  • 特徴:初期から晩年までの流れを静かに体感できる美術館
  • 併訪:生家、向上寺三重塔

※ 最新情報は各公式サイトをご確認ください。


8. 結び──群青の向こうにあるもの

平山郁夫が描いたのは、風景ではありませんでした。
砂漠に吹くかすかな風、祈りを運ぶ人々の歩み、
そして戦争を越えて文化が受け継がれていく“静かな意志”です。

群青の空を見上げる旅人の姿は、
いつもどこか遠くを見つめています。
その視線の先にあるのは過去でも未来でもなく、
「人が互いに結ばれていく世界」だったのかもしれません。

彼の絵の前に立つと、言葉が静かにほどけていきます。
そして気づくのです。

――私たちもまた、この道の旅人なのだと。

画像出典

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000236.000031382.html

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